2014年3月

やったぜ!

数日前に書いた、作業療法士を目指していた佐々木慎。

合格はほぼ間違いなしと書きましたが、今日正式に合格の報告がありました。

 

おめでとう。

入学さえすればほとんど卒業は可能とされる日本の大学より、過酷なカリキュラムを供される国家試験突破目的の専門

学校のハードルははるかに高いと思われる。

よくやった、慎。

一度は自暴自棄で投げ出しかけたこともあったが、よくぞ初志を貫いた。

頭が下がる。

 

ヤスユキのベルト奪取をはじめ、プロ選手たちの活躍はもちろん嬉しい。

しかし、ジムを離れたヤツとの交流も甲乙つけがたく嬉しい。

結局、私はキックボクシングというものを通じて若いヤツらとつながることを楽しんでいる。

 

この辺がDropoutがアマチュアたる由縁だ。

大金

いつまでもあると思うな親とネタ

 

渡辺喜美・みんなの党代表、数か月前には猪瀬元都知事を糾弾していたのに、今度はその16倍ものおカネで

追い詰められる立場になりましたね。

8億円貸してくれる人がいるってすごいな。

DHC、儲かってんねんな。

 

「何に使ったのか」と訊かれて「酉の市で熊手」なんて堂々と言える神経はすごいですね。

冷や汗まみれで、消え入りそうな声で答えてた猪瀬元都知事とは器が違うな。

やっぱりお父さんが自民党の重鎮だったし、そのへんのキャリア、経験、しみついたDNAの差と言ってもいいでしょ

う。

今後どんな風に弁明が変遷していくか楽しみです。

 

その猪瀬氏、徳洲会から借りた5000万円を政治資金と認めたようですね。

しかし、その認め方がまたしぶしぶと言うか、潔さのかけらもなかったな。

「思い込み」とか「記憶」の問題にすり替えてたような。

 

以上、とりとめのない貧乏人のひがみでした。

 

おびえる日々

きのうは、袴田さんがいかに恐怖におののきながら日々を過ごされているであろうかについて触れました。

平凡ながらも、日々を大過なくお過ごしのへたよこ読者にはわかるまい。

え?、私はあなた方とは違いますよ。

3月14日付けのへたよこでもお伝えした通り、私は死の淵から、死刑寸前の危機から帰還してきた男です。

今日は死刑執行までの狂おしいばかりの心の葛藤を、凡人揃いのへたよこ読者にお届けしましょう。

 

それは突然のことだった。

時刻も判然としない。

収監されている何人かが呼び出され、いきなり死刑の宣告を受けた。

なんの罪かも明かされず、とにかく死刑の通告。

まるで北朝鮮か中国だ。

このとき思い浮かんだのが、同日のへたよこでも書いた「エロ本未処理を悔いる」です。

 

なぜかみな黒のタキシードに蝶ネクタイ姿。

昔の主要駅にあった、公衆電話が並んでいるような幅60㎝くらいの、横が衝立(ついたて)で仕切られているブースに

並ばされ、なぜか頭を下に下げさせられる。(なにをやったかは不明)

その後一人ずつ死刑執行室に向かわされる。

 

私のすぐ前にはジャイアント馬場さんがいた。

「ブース行為」を終えた馬場さんは死刑執行室へ向かった。

私がいる地点と執行室の間には数十メートルはある廊下がある。

私と執行室の間には一人の施設職員(私にほど近い所にいる)。

職員の前を馬場さんが通り過ぎ10メートルほど進んだ。

その時職員の目がキラリと光り、壁のボタンを押した。

すると廊下の床が突然開いた!

こ、これが死刑執行場だったのだ!

あぁ~っ!馬場さん・・・

 

しかし馬場さんは無事だった。

なぜか。

廊下の幅は約4m。

その幅全部が何mかにわたって開けばよいのだが、開いたのは直径3mほどの円形。

つまり両脇50㎝ほどは普通に歩ける。

この時馬場さんは左寄りを歩いており、穴の部分を通過したのだが、円の端っこゆえ下が開いている部分が短く、タキ

シード姿の馬場さんは長い脚で楽々またいでしまい、そこが死刑台であったことも知らずに鼻歌交じりでそのまま通過

してしまったのである。

 

(こんなん楽勝や、端っこ歩いたろ・・)と思ったところで目が覚めました。

しかしこれ、床に落とされても首に縄ついてなかったら死ねへんやん。

それとも地下にはピラニアか鮫でも泳いでたんだろうか。

 

どうです皆さん、いつあるかわからない死刑執行を待つ身の過酷さが伝わったでしょう。

 

 

 

 

偏見

「袴田事件」の袴田元死刑囚(という言い方でいいんでしょうか?)が東京拘置所から釈放された。

袴田さんが無罪となるかどうかは予断を許さないらしいが、まずは一息というところか。

 

1966年に起こったこの事件。

当時10歳だった私はこの事件の記憶がない。

社会的なことなど、ほとんど興味を持つこともなくノホホンと生きていたのであろう。

しかし冤罪で48年という長い時間を奪われた悔しさはいかばかりか。

しかもそれが警察によるねつ造によるものであれば尚更。

 

昨夜のニュース番組で逮捕当時の様子を知ったが、ひどいものだった。

夏の暑い部屋で連日平均12時間ほどの取り調べが続き、汗を拭くことさえ禁じられたという。

その結果20日のちには「自白」することになる。

その録音したものも流された。

 

取調官は、おそらくそれまでの高圧的な態度から一転、おだやかに自白を促す。

袴田氏は諦めか、一刻も早く楽になりたいという一心からか、「とんでもないことをしてしまいました」という旨の供

述を始める。

本当に淡々と、もう無力感という言葉しか当てはまらない。

 

冤罪か否か、有罪か無罪化はまだ決定していない。

しかし、DNA鑑定の結果や着衣とされる証拠品から推察するにやはり冤罪だと思う。

無罪となれば、相当の賠償金が支払われることになろうが、たとえ10億円積まれても安い。

もし私なら納得できない。

100億円であったとて今更なにに使う。

48年間を返してくれと叫ぶだろう。

 

もうひとつこの報道に関して違和感を覚えたことがある。

それは袴田氏に「元プロボクサー」という紹介が付くことだ。

事件を起こした時点で彼が無職だったならばわかる。

しかし彼はこの時みそ製造会社で何年間も社員であり続けた。

なぜ「元プロボクサー」が必要なのか。

 

例えばスーパーマーケット店員が強制わいせつ事件で逮捕されたとしよう。

彼が三年前まで新聞配達員をしていたとして、あるいは豆腐職人だったとして前職を公表しただろうか。

これは私の推測にすぎないが、おそらく事件が起きた48年前からこの元プロボクサーの肩書は出てきたであろう。

引退して何年も経っているのに、みそ製造会社に何年も勤めているのにも拘わらず。

 

そこにはプロでボクシングをやるような奴だから乱暴者に違いない、犯罪を犯す確率が高いはずだ、という想いが取調

官や新聞をはじめとするマスコミにあったのではないか。

一応穏やかに「ないか」とは書いたが、前述のことは私としては確信のように持っている。

 

腹立たしい。

演繹的ファイト

少し前に「7カ国語をモノにした人の勉強法(橋本陽介著・祥伝社新書)」という本を読んだ。

中学英語をベースにプラスアルファの英単語くらいで、なんとか初歩の日常会話くらいができる程度の粗末な私の英語

力。

「英語がうまくなりたい」という願望はあっても生来の怠け癖で、(ええわ、明日からや・・)とズルズル勉強を先延

ばしにする悪癖は相変わらず。

たまに机に向かっても、それが四日続いたためしがあったかどうか。

そんなダメ人間が上記のような本だけでウマくなったような気でいるから困ったもんである。

 

その本に文法に関する興味深い記述があった。

抜粋・要約・加筆してみよう。(出典を明示しております。小保方氏のような盗用ではありません。)

 

初級や中級の外国語学習では、文法を「演繹的」に教えるのが普通で、これはひとつのルールを提示して頭に入れさ

せ、そこから文を派生的に作らせていくというものだ。

例えば、He is a teacher.という文があり、HeをYouに替えればisは自動的にareになるし、Theyの過去の話だと~

were ~sといろんな組み合わせを考えた記憶があるでしょう。

中級あたりまではこれでいいらしい。

しかしそこから上を目指すなら、この演繹的文法観を捨てねばならなくなると著者はいう。

上達しない人の多くは、この与えられたルールから派生させて文を作っていくことにこだわるのだと。

 

基礎を学んで次の段階に向かうとき必要なのは、「帰納的文法観」だという。

これはたくさんの文章が先にあって、そこから一定のルールを引き出しているのが文法だという観念です。

まず先にたくさんの文があって、それに合理的説明を加えようとして作られたのが各種文法。

だから学者の文法観によってその内容は異なってくるし、絶対的に「これが正しい」というものではない。

会話というものは柔軟なものである。

自然科学のように答はひとつではない。

一定のところで止まっている私にぴったり当てはまってます。

 

なぜこんなことを書いたか。

キックボクシングにもあてはまるように思ったからです。

おそらく他のあらゆる競技にもあてはまるのではないでしょうか。

 

凡庸な私は実際に受けてきた指導や、技術書に書かれてあることをできるだけ正確に再現しようとしてきた。

手前味噌ではありますが、結構小器用にそういうことができます。

しかし、そこから逸脱することがほとんどできない。

五文型のどれかに押し込もうとする。

結果、アドリブの効かない決まりきった言い回ししかできない。

 

ヤスユキ。

帰納的文法を自在に操る。

当然かつては演繹的な段階を踏んできたのだろうが、今は完全に帰納的なステージにいる。

俗にいう、「頭が柔らかい」のだろう。

それはわずか、5R、最大15分の間に予期せぬ事態に柔軟に対応する。

流れを読んで、(あれ、コイツのこんな技今まで見たことないぞ・・)と思わせることを本番のリングで躊躇なくやっ

てしまう。

しかもそれが本来の持ち味であるかのように自然に。

 

次の相手、町田光選手も帰納的文法を駆使する手練れに見える。

リング上で両者がどんなトークを繰り広げるか。

来月二十日が楽しみである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

イマイチ

また早朝割引で映画観てきました。

実在のポール・ポッツというオペラ歌手が主人公の「ワン・チャンス」。

 

私はこの人の名前さえ知らなかったが、携帯電話ショップの店員から身を起こし、デビューアルバムが世界で300万枚

のセールスを記録したというアメリカンドリームならぬイングリッシュドリームを成し遂げた人らしい。

子供の頃からいじめの対象で、小太りでさえない主人公がテレビのオーディション番組で一躍スターダムに駆け上が

る。

 

定番のサクセスストーリーで、しかも実話。

私の大好きと言ってもいい条件。

実際面白くはあった。

が、なんだか心に残るものがない。

スッと流れてしまった感じである。

 

ネットでの評価なんかはすごく高いのだが、なんでだろう。

65点です。

頑張れ

以前にも紹介したことがあるが、Dropoutからプロレスのリングに方向を変えた選手がいる。

選手と言ってもプロではない。

それどころかアマチュア試合も経験したことなかったはずだ。

 

確か彼は大学三年生のときに入会してきた。

高校時代はラグビーをやっていたが、背はそれほど高くなく160㎝台半ば、かといって体重もそんなにあるわけでもなか

った。

性格もおとなしく、口数も多い方ではなかった。

が、ジムでの飲み会なんかはほとんど顔を出して、プロ選手なんかと話し込んでいた。

なぜかDropoutを気に入ってくれていたようだった。

 

大学卒業を控えたある日、意外なことを告げられた。

卒業後の進路を訊ねた私に「大学院へ行くか、プロレスに」という突飛な答えが返ってきた。

(この体でプロレス?・・)と、正直思った。

それに性格もあんな世界に向くのだろうか、とも。

 

結局彼は幼い頃からの夢、プロレスに道を定めた。

神戸に本拠地を置く「ドラゴンゲート」という団体だ。

同期で10人近くが入ったが、数か月後には過半数が去っていたそうだ。

 

同団体のHPをときどき覗き、彼がレスラーとしてデビューしてないかチェックしていた。

数か月ぶりにドラゴンゲートHPにアクセスした。

選手の写真が数十枚並んでいるのを追っていった。

(あぁ、まだないんやな・・)と思ったその時、最後に見覚えあるような顔が。

その顔に矢印を持って行きクリックした。

次の画面には「ミスター中川」という名前が出てきた。

 

間違いなかった。

名前から、写真の順番から察するにレフェリーだろう。

ブログがありいくつか読んでみた。

やはりレフェリーとして、忙しく全国を飛び回っているようだ。

そうか、レスラーの夢はかなわなかったが、その世界でご飯が食べられてるとは大したものだ。

おめでとう。

 

祝意のメールを送った。

その返信メールによると、ケガで今はレフェリーをやっているが、治癒すればまたレスラーを目指すとのこと。

あくまで初志を貫徹しようとする、その意気やよし。

夢まで手が届くのにあと少し。

頑張れ。

 

 

交流

 テツジムさん合同稽古昨日は大阪から、テツジム関西の皆様が出げいこに来てくださいました。

 

4月にデビュー予定ののウェルター級選手(元プロボクサー)、プロを目指して頑

張っておられるフェザー級選手、キック経験は5ヶ月ほどながら柔道三段の実力

の女子選手、それに元プロシュートボクサーの小嶌さん、高田トレーナーとテツ

会長。

Dropoutからは、ヤスユキ、HIROKI、西尾、どん冷え、百姓A、環。

夜の8時頃から約1時間半、みっちりとスパーリングに取り組みました。

 

テツ会長は、私がキックを始めた横山ジムで出会った旧知の間柄であることは何度か書きました。

が、高田トレーナーも私が横山ジムに入門して数か月後に入ってこられ、よく知っています。

さらに小嶌さんは、私が横山ジムを仕事の関係で離れたあと入ったシュートボクシング・寝屋川ジムでともに汗を流し

ました。

今更ながら狭い世界だと痛感します。

そして過去が今につながっていることが不思議な必然のようにも思います。

 

小嶌さんも当時は二十歳そこそこだったのが今は40歳近くだとか。

でもその動きは、スタミナはさておき、技術的には光るものを随所に見せてもらいました。

他の三選手も素晴らしかったですが、特に印象に残ったのは女子選手の西さん。

失礼ながら、技術的には大して見るべきものはなかったが、柔道で培った素地は一級品。

なによりそのファイティングスピリットは特筆もので、そこいらの男なら足元にも及ばない。

あの情熱があれば、技術なんかあとからついてくることでしょう。

一年後が楽しみです。

 

テツジムの皆さん、遠いところありがとうございました。

ウチでよければ、またいつでもおいでください。

 

 

 

蛙の子

プロレスラーで、バルセロナ五輪柔道95K超級銀メダリストの小川直也氏の長男が全国高校選手権、無差別級で優勝し

た。

高校二年生(新三年生)で、すでに189㎝、135Kgという恵まれた体。

小四からお父さんの教えを受け、早くも大きな花を咲かせたようだ。

スター不在の日本柔道界重量級に、数年後世界も狙えるスター候補誕生といったところか。

楽しみだ。

 

この大会では、やはりバルセロナ五輪71Kg級金メダリスト、「平成の三四郎」・古賀稔彦氏の息子も73Kg級で準優勝

している。

二人とも才能というDNAを引き継いだのか、それとも最高の環境に身を置いた結果なのか。

 

どちらの要素もあるかもしれません。

しかしやっぱり二人とも努力するという、最高の才能を持っていたのでしょう。

東京オリンピックで両者金メダル、なんてことを期待します。

復帰

腰椎分離症で、ちょうど一年間ジムを離れていた葵勇之進が今月から戻ってきた。

勤務地が遠く、帰宅時間が遅いため、当面は週二回くらいのジム通いが目標だそうだ。

 

もう年齢も30代後半、腰にも爆弾を抱えてる状態でリング復帰は、プロはおろか、アマチュアさえもおぼつかないかも

しれない。

しかしその周りに気を配る神経の細やかさ、それでいてジムの雰囲気を盛り上げてくれる存在感は、形を変えてヤスユ

キはじめ他のプロ選手たちの「強さ」として実を結んでいるはずだ。

少なくとも私はそう信じている。

 

もうひとり、3戦2勝1分けと、負け知らずの戦績を残しながら、1年以上リングを離れていたテゲも帰ってきた。

8月31日のDropout京都興行出場の意向を固めてくれた。

その前に一戦くらい挟んで勘を取り戻したいようだ。

体重も通常で54Kgほどといい、スーパーフライでも楽々こなせそうだ。

またあの回転の速いパンチ、思い切りのいいファイトが見られると思うと嬉しい。

なにより、彼もその「愛されキャラ」でジムの雰囲気を和ませてくれることだろう。

 

もうひとり帰ってきてほしい男がいる。

ヒノ拳。

去年の京都興行のKO負けを最期にグローブを置いた。

その後は、宴会には姿を何回か見せたものの、ジムでその姿を見かけたことはない。

仕事も忙しいだろうが、週に一回でもいい、休日の少しの時間をジムに割いてくれ。

激しい練習なんか必要ない。

新人の顔を見つけて得意の「青春の押し売り」をしてくれるだけでいい。

「ヒノ拳寄席」で笑いを振りまいてくれればそれでいい。

家でごろ寝してるよりはカロリー消費できるはずだ。

ベルトの穴ひとつ縮めようよ。

 

NKBのリングで燃えた、オレたちの感情を次の世代に伝えようぜ。

 

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