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考えるツール

今朝の読売新聞朝刊に、2000年にノーベル化学賞を受賞された白川秀樹氏が「日本語で学び、考える科学」というタイ

トルで寄稿されている。

 

それによると氏の受賞直後に、外国の経済紙記者から「意表を突く」質問を受けたとう。

「アジアで日本人のノーベル賞受賞者が多いのはなぜか?」というのがそれだ。

 

氏は一瞬考えたのち「日本では日本語で書かれた教科書を使い、日本語で学んでいるからではないか」と答えられた。

アジアでは英語の教科書を使い、英語で授業をする大学が少なくないらしいのだ。

この答に、氏は確たる自信はなかったが、ある日作家・丸谷才一氏の「考えるための道具としての日本語」という論評

に出会い意を強くする。

「言語には伝達の道具という局面の他に、思考の道具という性格がある。人間は言葉を使うことができるから、ものが

考えられる」という丸谷氏。

 

『これまで日本の科学者たちは日本語を思考の道具として使ってきた。江戸時代から明治維新を経て、海外から日本に

伝わってきた科学や文化は、先人たちが外国語の文献と取組み、思考を巡らせて翻訳してきた言葉と概念によって、今

の時代へとつながってきている。その恩恵を私たちは受けてきたのだ。』 (『』内は白河市の文を丸々抜粋)

 

新しい事象や概念を「翻訳」するって困難極まりないでしょうね。

杉田玄白なんかはどんな苦労と情熱であんな大事を成し遂げたんでしょう。

 

私のおぼろげな記憶では「社会」という言葉ができたのは明治維新のころだったと思う。

今では小学生だって知ってる言葉、概念が当時の大人でもピンとこなかったんでしょう。

ほんと新しい概念を言葉で根付かせるって大変だと思います。

 

白川氏の寄稿文とは少し論点がずれますが、ユニクロや楽天など英語を社内公用語にしようという企業も現れ始めてい

ます。

これに私も違和感を覚えていたのですが、クッキリとした反論が浮かんでこなかった。

なにで読んだか、誰が書いたかも覚えてないが、これだとひざをたたいた文に数か月前に出会いました。

覚えている範囲を再現してみます。

『社内公用語を英語にしようという動きが一部にあるが、私は反対である。「仕事」というものは核心部分以外の雑談や冗談なども

交えて成り立つものだ。それが不慣れな外国語でコミュニケートしようとすれば緊張が先に立ち冗談や雑談どころではなくなる』

というものだった。

これ、正論だと思いませんか。

何十年慣れ親しんできた母国語だからこそ潤滑油としての冗談や雑談が口をついて出る。

 

少し英語が話せるくらいでは外国人の友人はできない、と思う。

日本人の友人もいない人に、外国人の友人ができるはずない、というのが私の意見だ。

人間としての魅力が第一です。

それさえあれば、逆に少々言葉がへたでも友人ができる、というのが私の持論です。

優しいね

川崎市で起こった、中一少年殺害事件。

主犯とみられる、18歳のリーダー格の殺害現場での実況見分が昨日あった。

 

ニュース映像を観て驚きました。

鬼畜18歳は、グレイのビニールに覆われた電話ボックスくらいの「箱」に入れられて見分が行われていた。

さらにもっと大きな、ドーム風とでも言えばいいのか、青いビニールシートに完全隔離されても続けられたようだ。

 

これは神奈川県警の発案で行われたという。

もう、開いた口がふさがりません。

未成年犯罪を意識したものに間違いありません。

当然マスコミが押し寄せ、容疑者の顔が出る恐れがある。

朝◯新聞やその系列テレビなどがギャーギャー騒ぎそうだから、先手を打ったのでしょうか。

はぁ~、こんな極悪人にさえどこまでも優しいニッポンジン。

 

一番気の毒に思えたのが、あのビニールシートなどを持たされた警察官。

おそらく(なんでこんなクソガキのためにこんなことせんならんねん!・・)って思われてたことでしょう。

あのために10人近くの余分な人手を要したと思います。

そこまでせなあきませんか。

細かいこと言えば、こやつはひとりの前途ある少年の命を奪っといて、税金さえも無駄使いさしとる。

 

も、ええやん。

どうせネット上や週刊新潮には顔写真も実名も出とる。

顔さらしたったらええねん。

どうせテレビはボカシかけよるやろ。

野次馬に見られたかて、こいつが自ら蒔いた種や。

自分で刈り取れ。

 

 

 

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